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豊臣秀吉 小田原攻め!

天正10年(1590年)

豊臣軍21~22万  北条氏政・氏直軍5万~8万 (兵数については諸説諸々あります)

豊臣秀吉は四国、九州を平定し天下統一まで残すは東北の伊達、関東の北条のみとなっていた。

発端は、天正17年10月秀吉の『惣無事令』を破り北条方の家来、猪俣邦憲が真田家の支城であった名胡桃城を奪ったことがきっかけである。

翌年3月豊臣秀吉出陣。

総勢21~22万の大群で陸だけでなく、海からも小田原城を囲み兵糧攻めへと持ち込んだ。

この年の5月には東北の伊達政宗が秀吉に服属し、小田原攻めに加わる。

小田原城は城や城下町を堀や土塁で包み込む『総構え』という城郭構造となっていて、その距離は9キロにも及んでいた。

秀吉が小田原城を眼下に一望できる石垣山城を築城、これを本陣とした。

実際は80日あまりで築城されたが一夜で作ったように見せ、ここで茶会などを開いたため北条側の戦意を一気に喪失させた。

 

黒田官兵衛が講和にあたり、小田原城無血開城

北条氏政切腹北条氏直高野山へ謹慎させられる。

これにて事実上、豊臣秀吉の天下統一が成し遂げられた。

 

 北条氏政辞世の句

 雨雲の おほえる月も 胸の霧も はらいにけりな 秋の夕風
我身今 消ゆとやいかに おもふへき 空よりきたり 空に帰れば