信長の戦い!

信長の有名な戦いだけまとめてみました。

 

桶狭間の戦い

永禄3年5月19日(1560年6月12日)

今川軍45000 織田軍2000

今川義元尾張を切り取るため(上洛説もあるようですがあまり信憑性はないようです)45000ともいわれる兵で出陣しました。

今川軍、田楽狭間にて休息をとっているところに信長軍の急襲をうけ敗北、今川義元討ち死に。

 

稲葉山城の戦い

永禄10年(1567年)

斉藤軍 織田軍ともに兵力は不明。

長良川の戦いで斉藤道三が息子斉藤義龍に打ち取られ、斉藤家との関係が悪化。

その後斉藤竜興が後を継ぎ信長出兵。

木下藤吉郎墨俣城一夜城)の活躍もあり織田軍の勝利

 斉藤家滅亡

 

姉川の戦い

元亀元年(1570年)

織田・徳川連合軍15000~30000  浅井・朝倉連合軍13000~30000

上洛の命令に従わない朝倉義景討伐のため越前に侵攻するが、浅井長政の裏切りに合い一時撤退(金ヶ崎の戦い)。

軍備を整え再度侵攻、姉川にて対峙。

戦闘初期は織田軍が苦戦するが、結果は織田・徳川軍の勝利

浅井・朝倉家滅亡へのきっかけとなる。

 

比叡山焼き討ち

元亀2年(1571年)

織田軍 不明  比叡山4000

理由は様々だが、浅井・朝倉をかくまった。

延暦寺での横領、腐敗がはびこっていた。

 織田軍が比叡山延暦寺門前町の坂本を焼き払った。

 

長篠の戦い・設楽原の戦い

天正3年(1575年)

織田・徳川軍 38000  武田勝頼軍 15000

織田軍の鉄砲、馬防柵の活用により、戦国最強と言われた武田軍の騎馬隊を蹴散らし、武田軍の大敗。

以後武田家は滅亡の道をたどります。