本能寺の変!

1582年6月2日明智光秀織田信長に対して起こした謀反です。

 

きっかけ は諸説諸々あります。どの説が一番正しいのかはわかりませんが、いくつかリストアップしてみます。

 

1 諏訪での折檻

甲州征伐(武田征伐)により武田家を滅ぼした後、諏訪の法華で論考賞が行われた。

そ歳の明智光秀のセリフ『我々も苦労の甲斐がありました』のセリフに信長が切れ『貴様にどんな功がるのだ!!』と他の武将の前で折檻をした説。

 

2  領地の没収

信長から「近江坂本、丹波を没収し出雲、石見を切り取り次第与える」という命令を受けた。当時は出雲、石見がまだ毛利家の領地ったため、光は領地がなくなるという不安にかられたという説。

 

3 徳川家康を接待した時の不手際

安土城で光秀が家康の接待を任されました。その際、魚料理が腐っていて信長の怒りを買い、面罵され接待役を解任されたことが理由とする説。

 

4 ノイローゼだった

光秀かなり真面目な性格だったといわれています。

信長の独裁的なやり方や、激務に耐えられず勢いで本能寺を襲ったという説。

 

5 黒幕説

秀吉・・・中国おお返しの話ができすぎている。 

     本当に200キロも距離を短時間で引き返してこれるのだろうか。

 

家康・・・南光坊天海が明智光秀ではないかという説があります。

     1、日光東照宮に明智家の家紋である桔梗多く使われている

      2、あけち平を命名したのは天海である。

     3、筆跡がとても似ている。

     その他にも諸々あるようですが、個人的には信ぴょう性は低いかなとも思い      

     ます。