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黒田官兵衛!

今日は黒田官兵衛

秀吉の軍師として竹中半兵衛とともに活躍し、秀吉の「両兵衛」「二兵衛とも言われていた人です。

1546年に播磨国姫路に生まれます。

1561年に16歳で小寺政職の近習になり、1573年に秀吉の軍師として採用されます。

1578年に荒木村重織田信長に謀反を起こします有岡城の戦い)

官兵衛は一人で荒木村重のいる有岡城へ赴き説得に当たりますが、失敗に終わり逆に一年間城の土牢に幽閉されてしまいます。

その一年後に落城の際に助け出されますが、幽閉の際に片足が不自由となってしまいました。

 

1582年に秀吉が備中高松城を攻める際には、水攻め提案し城を水没させ城主清水宗治を自害に追い込みます。高松城水攻め」

1587年、豊前国の六郡、12万3千石を与えられます。

 

関ケ原の戦いでは九州を統一し、西軍、東軍の勝った方と戦い天下を狙おうとしますが、戦いが早く終わってしまったため失敗に終わってしまいます。

関ケ原の戦いの際、東軍についた息子黒田長政から「内府殿はわたしの右手を三度押し頂きました」と言われ「そのときそちの左手は何をしていたのだ」(なぜ左手で刺殺さなかった)というやりとりは有名です。

 

1694年、京都の伏見にて死没

 

辞世の句 

おもひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせて