真田幸村って?

 

今回はきっと人気武将ランキング上位に入るであろう真田幸村についてです。

実名真田信繁(1567~1615)

真田昌幸と正室山手殿との次男として甲府で生まれました。幼名は源次郎。

当時真田家は武田家仕えていました。

 

1600年に関ケ原の戦い起こると父昌幸とともに上田城にこもります。

この上田城で、関ケ原へ向かうため二軍に分かれた秀忠の兵力三万八千を真田側はわずか三千の兵力で迎えうち、信州で10日間釘付けにしこの結果秀忠軍は関ケ原の戦いには間に合わず参加できませんでした。

 

関ケ原で西軍が負けたため本来なら死罪になるところを、東軍に属していた兄信幸が家康に二人の命を救うよう懇願したため、高野山九度山に蟄居となりました。父昌幸は

ここで1611年に没してしまいます。

 

1614年の大阪冬の陣では幸村は九度山から抜け出し秀頼方に味方します。

幸村は大阪城の外堀のの外側に出丸を作ります。有名な真田丸です。

幸村の奮闘もあり家康はあきらめ和睦を望み、これにて大阪冬の陣は終結します。

 

1615年再び豊臣と徳川の戦いが勃発します。大阪夏の陣です。

前回の和睦の条件と家康の策略で堀を埋められてしまった大阪城はもはや丸裸状態となっています。

幸村はこの戦いでも奮闘し、家康本陣を粉砕し一度は家康に死を覚悟させます。家康が馬印を捨てて逃げたのは三方ヶ原の戦い大阪夏の陣だけです。しかし圧倒的な兵力には勝てず、安居神社で討ち取られてしまいます。

 

関ケ原、二度の大阪の陣で、小勢で大群を翻弄したことが人気の理由なのではないでしょうか。