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豊臣秀頼その3

さあ豊臣家を自分の代で 滅ぼしてしまいたい徳川家康。大阪方が兵糧を集めているだの浪人に声をかけているだの得意の難癖をつけてなんとか戦に持ち込もうとします。

大阪方はなんとか弁明しますが聞き入れてもらえません。むしろ浪人の開放や秀頼の国替えなどどうにも受け入れられない条件を突き付けてきます。

条件を受け入れないことが発端で1615年に大阪夏の陣が勃発します。

豊臣方7万8千の兵力に対して徳川方は15万5千の兵力。

しかも大阪城は堀を埋められてしまい丸裸同然。

夏の陣で大活躍するのが真田幸村

真田昌幸の次男です。この親子については有名なエピソードがあります。

実は真田家と徳川家は過去に二度対戦しています。上田合戦とか上田城の戦いなどと呼ばれたりしています。

第一次上田合戦は1585年。真田の兵力2000に対して徳川の兵力は約8000。

これは真田家が勝利します。

第二次上田合戦は1600年。真田の兵力3000に対して徳川38000。

これも真田家が勝利します。秀忠が関ケ原の戦いに遅れた理由にもなってます。

どちらも徳川家の方が勝っていたにも関わらず負けてしまいます。

なので大阪の陣の際にも真田が大阪に入ったと聞いたとき家康が「親か子か?」と聞いたというのは有名な話です。もちろんこのとき恐れていたのは昌幸ほの方で、もうすでに死んでいましたが。

 

冬の陣では幸村が家康の本陣まで攻め込みますがあと一歩及ばず。打ち死にしてしまいます。

いよいよ戦に負けて大阪城が炎上。家康の孫である千姫は助け出されますが秀頼は淀君とともに自害。これによって豊臣家は滅亡します。