豊臣秀頼その1

豊臣秀頼は秀吉の三男。先日説明した秀忠 と同じですね。

秀吉の長男は石松丸秀勝。名前の由来は当時信長の重臣だった丹羽長秀柴田勝家から取ったという説もあります。ちなみに「羽柴」の姓は丹羽長秀柴田勝家から取ったというのは有名な話ですね。この辺が実に茶目っ気のある秀吉らしさが出ていますね。 秀吉にとっては初めての男の子でしたが六歳で亡くなってしまっています。

 

側室、淀殿(茶々)との間に生まれた第一子が鶴松。幼名は「棄て」。当時は捨て子は育つと言う迷信があったようです。が、しかし迷信はあくまでも迷信であったようで、やはり二歳で幼くして亡くなってしまいます。

 

鶴松の死の二年後に同じく淀殿の間にできた子が秀頼になるわけです。幼名は「拾丸」

ま鶴松に「棄て」と名付けてすぐに亡くなってしまったので「拾」の字を使ったのは言うまでもありませんね。

さて秀頼ですが、大人になると身長が190センチほどもあったようです。戦国時代の平均が159センチぐらいだったのではないかと言われているので、ずば抜けて大きいですね。ちなみに猿と言われていた秀吉は、諸説諸々ありますが大体150後だったのではないでしょうか。

なので秀吉の子供ではないのでは、とも言われていたようですがそもそも淀の父(秀頼の祖父になりますね)である浅井長政が大男で180センチくらいあったと言われています。祖父に似て大きくなったのではないかと個人的には思ったりしてます。

では続きは次回( ´∀` )