大阪城その2!

大阪城パート2です。

二代目大阪城は「徳川の大阪城」とも言われています。あ、一代目は「豊臣の大阪城」「太閤の大阪城」等とと言われています。

二代将軍秀忠によって再築城が1620年から始まり実に9年に及ぶ工事を経て完成したのが1629年。

ちなみに将軍徳川秀忠は家康の長男ではなく三男です。

長男は松平信康。信康は家康の正室築山殿の子供。織田信長武田勝頼との内通を疑われ1579年9月15日に家康の命を受けて切腹させられてしまいます。

 

次男は結城秀康。家康の側室の於万の方との間にできた子供。のちに羽柴秀吉の養子になります。

 

徳川秀忠は側室である西郷の局の子供。関ケ原では上田城を攻めあぐねて戦いには参加できなかったのは有名な話ですね。

 さて二代目大阪城ですが1665年に落雷があり天守閣が焼失してしまいます。

 

よく「落雷にによって焼失した」なんて天守の話を耳にしますが、当時は天守は周辺では一番高い建物であったため、雷が落ちやすかったのです。ましてや木造でできていたため消火も困難だったのです。今みたいに避雷針やらスプリンクラーがあったわけではありませんしね。

何年もの歳月と莫大な費用をかけた権力の象徴でもあった天守があったいう間に焼失してしまうのはなんだか切ない気がしますね(*´Д`)