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真田信之!!

真田昌幸の長男真田信之についてまとめてみました。

 

永禄9年(1566年)真田昌幸の長男として、生まれる。

幼少期は武田家の人質として過ごしたが、長篠の戦いで武田家が滅びた後は真田家の家督を継承した。

第一次上田合戦では父の昌幸と奮戦し、わずか2000の兵での徳川軍7000の兵を撃退した。

天正14年(1586年)真田家が徳川家の与力大名となったのをきっかけに、本多忠勝の娘小松姫を正室に迎える。

 

1600年に関ケ原の戦いが起きた際には東軍の家康につく。

この時父の昌幸と弟の信繁(幸村)は西軍についた。これはどちらが勝っても真田家を存続させるためだと言われています。

 

関ケ原の戦いで東軍のが勝利すると95000石の初代上田藩藩主となる。

 

大阪の陣には病気のため参戦していない。

 

1620年に最愛の妻、小松姫が死去。『わが家の燈火が消えたり』は有名なセリフ

 1622年に松代へ加増移封され初代松代藩13万石の大名となる。

1656年~お家騒動が起こるると、第3代藩主幸道がまだ2歳と幼かったため、藩政を執ることになる。

万治元年(1658年)10月17日死去。享年93歳。

辞世の句

『何事も、移ればかわる世の中を、夢なりけりと、思いざりけり』

 

 

 

 

 

信長の戦い!

信長の有名な戦いだけまとめてみました。

 

桶狭間の戦い

永禄3年5月19日(1560年6月12日)

今川軍45000 織田軍2000

今川義元尾張を切り取るため(上洛説もあるようですがあまり信憑性はないようです)45000ともいわれる兵で出陣しました。

今川軍、田楽狭間にて休息をとっているところに信長軍の急襲をうけ敗北、今川義元討ち死に。

 

稲葉山城の戦い

永禄10年(1567年)

斉藤軍 織田軍ともに兵力は不明。

長良川の戦いで斉藤道三が息子斉藤義龍に打ち取られ、斉藤家との関係が悪化。

その後斉藤竜興が後を継ぎ信長出兵。

木下藤吉郎墨俣城一夜城)の活躍もあり織田軍の勝利

 斉藤家滅亡

 

姉川の戦い

元亀元年(1570年)

織田・徳川連合軍15000~30000  浅井・朝倉連合軍13000~30000

上洛の命令に従わない朝倉義景討伐のため越前に侵攻するが、浅井長政の裏切りに合い一時撤退(金ヶ崎の戦い)。

軍備を整え再度侵攻、姉川にて対峙。

戦闘初期は織田軍が苦戦するが、結果は織田・徳川軍の勝利

浅井・朝倉家滅亡へのきっかけとなる。

 

比叡山焼き討ち

元亀2年(1571年)

織田軍 不明  比叡山4000

理由は様々だが、浅井・朝倉をかくまった。

延暦寺での横領、腐敗がはびこっていた。

 織田軍が比叡山延暦寺門前町の坂本を焼き払った。

 

長篠の戦い・設楽原の戦い

天正3年(1575年)

織田・徳川軍 38000  武田勝頼軍 15000

織田軍の鉄砲、馬防柵の活用により、戦国最強と言われた武田軍の騎馬隊を蹴散らし、武田軍の大敗。

以後武田家は滅亡の道をたどります。

 

 

 

 

 

 

 

本能寺の変!

1582年6月2日明智光秀織田信長に対して起こした謀反です。

 

きっかけ は諸説諸々あります。どの説が一番正しいのかはわかりませんが、いくつかリストアップしてみます。

 

1 諏訪での折檻

甲州征伐(武田征伐)により武田家を滅ぼした後、諏訪の法華で論考賞が行われた。

そ歳の明智光秀のセリフ『我々も苦労の甲斐がありました』のセリフに信長が切れ『貴様にどんな功がるのだ!!』と他の武将の前で折檻をした説。

 

2  領地の没収

信長から「近江坂本、丹波を没収し出雲、石見を切り取り次第与える」という命令を受けた。当時は出雲、石見がまだ毛利家の領地ったため、光は領地がなくなるという不安にかられたという説。

 

3 徳川家康を接待した時の不手際

安土城で光秀が家康の接待を任されました。その際、魚料理が腐っていて信長の怒りを買い、面罵され接待役を解任されたことが理由とする説。

 

4 ノイローゼだった

光秀かなり真面目な性格だったといわれています。

信長の独裁的なやり方や、激務に耐えられず勢いで本能寺を襲ったという説。

 

5 黒幕説

秀吉・・・中国おお返しの話ができすぎている。 

     本当に200キロも距離を短時間で引き返してこれるのだろうか。

 

家康・・・南光坊天海が明智光秀ではないかという説があります。

     1、日光東照宮に明智家の家紋である桔梗多く使われている

      2、あけち平を命名したのは天海である。

     3、筆跡がとても似ている。

     その他にも諸々あるようですが、個人的には信ぴょう性は低いかなとも思い      

     ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歴代の将軍!!

徳川15代将軍です

初代   徳川家康   初代江戸幕府を開く   

2代目   徳川秀忠   1605年第2代征夷大将軍となる

3代目  徳川家光   鎖国を完成させた

4代目  徳川家綱   10歳で将軍職に

5代目  徳川綱吉   生類憐みの令

6代目  徳川家宣   身長160センチ 歴代の将軍の中では最も高い

7代目  徳川家継   4歳で将軍に(史上最年少)7歳で死去

8代目  徳川吉宗   享保の改革

9代目  徳川家重   障害により言語不明瞭 頻尿   

10代目  徳川家治   将棋7段

11代目  徳川家斉   在職50年の最長記録

12代目  徳川家慶   天保の改革

13代目  徳川家定   ペリーが来た時の将軍

14代目  徳川家茂   甘いものが大好きで虫歯になった

15代目  徳川慶喜   最後の将軍

 

大政奉還

慶応3年10月14日(1867年11月9日)二条城にて徳川慶喜が朝廷に政権を返上したことにより、徳川幕府は終焉を迎えます。

 

 

 

100名城!!

日本の100名城を紹介します。

 

北海道    根室半島チャシ跡群 五稜郭 松前城

青森     弘前城 根城

岩手     盛岡城

宮城     多賀城 仙台城

秋田     久保田城

山形     山形城

福島     二本松城 会津若松城 小峰城

茨城     水戸城

栃木     足利氏館 

群馬     箕輪城 金山城

埼玉     鉢形城 川越城

千葉     佐倉城

東京     江戸城 八王子城

神奈川    小田原城

山梨     武田氏館 甲府城

長野     松代城 上田城 小諸城 松本城 高遠城 

新潟     新発田城 春日山

富山     高岡城

石川     七尾城 金沢城 

福井     丸岡城 一乗谷

岐阜     岩村城 岐阜城

静岡     山中城 駿府城 掛川城

愛知     犬山城 名古屋城 岡崎城 長篠城

三重     伊賀上野城 松坂城

滋賀     小谷城 彦根城 安土城 観音寺城

京都     二条城 

大阪     大阪城 千早城

兵庫     竹田城 篠山城 明石城 姫路城 赤穂城

奈良     高取城

和歌山    和歌山城 

鳥取     鳥取城 

島根     松江城 月山富田城 津和野城

岡山     津山城 備中松山城 鬼ノ城 岡山城

広島     福山城 郡山城 広島城

山口     岩国城 萩城

徳島     徳島城

香川     高松城 丸亀城

愛媛     今治城 湯築城 松山城 大洲城 宇和島城

高知     高知城

福岡     福岡城 大野城

佐賀     名護屋城 吉野ヶ里 佐賀城

長崎     平戸城 島原城 

熊本     熊本城 人吉城

大分     大分内府城 岡城

宮崎     飫肥城 

鹿児島    鹿児島城

沖縄     今帰仁城 中城城 首里城

 

緑字は国宝になっている城。

青字は現存のお城です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歴代の総理大臣その1

今日は戦国から外れてみました。

ただまとめただけです。

 

初代  伊藤博文  (1885年~1888年

2   黒田清隆  (1888年~1889年)

3   山県有朋  (1889年~1891年)

4   松方正義  (1891年~1892年)

5   伊藤博文  (1892年~1896年)

6   松方正義  (1896年~1898年)

7   伊藤博文  (1898年~1898年)

8   大隈重信  (1898年~1898年)

9   山県有朋  (1898年~1900年)

10  伊藤博文   (1900年~1901年) 

11  桂太郎    (1901年~1906年

12  西園寺公望  (1906年~1908年)

13  桂太郎    (1908年~1911年)

14  西園寺公望  (1911年~1912年)

15  桂太郎    (1912年~1913年)

16  山本権兵衛  (1913年~1914年)

17  大隈重信   (1914年~1916年)

18  寺内正毅   (1916年~1918年)

19  原敬     (1918年~1921年)

20  高橋是清   (1921年~1922年)

21  加藤友三郎  (1922年~1923年)

22  山本権兵衛  (1923年~1924年

23  清浦圭吾   (1924年1924年

24  加藤高明   (1924年~1926年)

25  若槻禮次郎  (1926年~1927年)

 

長くなりそうなので 次回に続きます( ´∀` )

 

 

 

 

 

 

『甲斐の虎』武田信玄

風林火山で有名な武田信玄です。

 

先日紹介した上杉謙信のライバルですね。

 

1521年 武田信虎の長子として甲斐で生まれる。(幼名は太郎)

1536年 元服し『晴信』と名乗る。

1541年 父の信虎を追放し『家督を継ぐ』(武田家代19代)

1551年 砥石城を攻略、信濃をほぼ平定。

1553年『第一次川中島の戦い

1554年『甲相駿三国同盟』を結ぶ(今川義元北条氏康

1555年『第二次川中島の戦い

1557年『第三次川中島の戦い

1559年 出家し『信玄』と名乗る

1561年『第四次川中島の戦い』(実弟の武田信繁山本勘助が死亡)

1564年『第五次川中島の戦い』 

1568年 駿河侵攻 

1572年 西上作戦 

1572年 三方ヵ原の戦い (家康フルボッコ)

1573年 信濃にて病死

 

武田信玄は名言が多いイメージがありますね。

『人は城、人は石垣、人は堀、情けは見方、仇は敵なり』

 

『百人のうち九十九人に誉められるは、善き者にあらず』

 

『為せば成る 為さねば成らぬ成る業(わざ)を 成らぬと捨つる人のはかなき』

 

『戦いは四十歳以前は勝つように、四十歳からは負けないようにすることだ。ただし二十歳前後は、自分より小身の敵に対して、負けなければよい。勝ちすぎてはならない。将来を第一に考えて、気長に対処することが肝要である。』

『もう一押しこそ慎重になれ』